5.31ビラ


日東整はどんな会社だったのか


SNW NTM分会は過去の資料整理や陳述書作成など、提訴に向けての準備を始めました。陳述書作成にあたり、日東整の歴史をまとめましたので、その一部を紹介します。

 日東航空整備は、その名が示すとおり日本飛行機と東亜国内航空が出資して、東亜国内航空(TDA)のYS-11を整備するために1980年12月に設立されました。それ以前、TDAは日本飛行機厚木製作所にYS-11を委託しており、日東整設立はTDAの整備委託費用の削減が目的でした。TDAがYS-11の整備を委託するようになったのは、路線拡大のために所有機を増やした事による整備体制の不足にあります。そのため日東整従業員は日本飛行機からの移籍者と新たに採用した者が占めており、役員も日本飛行機出身者が多くを占めていましたが、日東整が順調に経営されていくと、社長などの重要なポジションにはTDA出身者が就くようになりました。

 日東整の事業計画は、TDAの経営方針とそれに基づく整備本部の事業計画に基づいて作られてきました。それは日東整とTDA/JASの歴史を見比べてみれば見れば明らかです。設立当初こそYS-11のオーバーホール(D整備)とC整備のみを行っていましたが、TDAでA300が就航した1981年の翌年にDC-9の整備を行うようになりました。またYS-11がJAS(日本エアシステム)から退役する1996年には、A300のC整備を受注するためにJAS整備本部で21名もの人が一年間OJTを受ける様になり、A300の認定事業場を取得したのはJASでB777が就航した1997年の事です。

 この様に日東整の事業はTDA/JASの経営方針、事業計画に合わせて推移してきましたが、それは設立時の覚書「東亜国内航空から受託する業務に限定して営業する。」があったからに他なりません。日東整の先行きが不透明になったのは、2001年11月に発表されたJAL/JAS統合の頃からです。それでもJASの継承会社JALジャパンが存続していた2004年にはA300-600の整備を新たに受託し日東整の事業範囲は若干広がりましたが、2006年10月の完全一社化以降、新たな業務を受けることは無くなりました。MD80の退役が始まる年である2008年の7月にJALから新しい工場長送られてきました。その工場長は装備品(MD80/90 Nose Wheel)整備で起きた不適切な検査を理由に、大規模な調査活動を行いました。その調査活動は、その不適切な検査が報告されてから1ヶ月以上も過ぎた2009年1月に行われ、その調査活動中に行われたA300-600のC整備は、予定工期を大幅に超えてしまいました。そしてその後日東整がA300-600の整備を主幹する事は無くなり、また問題視された装備品整備は日東整の判断で一旦停止し、航空局より受けた厳重注意を理由に再開可能であったにも関わらず、認定事業場を返上しました。その後の2009年2月にJALEC設立が発表され、JAL整備グループ4社の統合が決まりました。今までJAL整備グループが発表した中期計画等では何らかの形で日東整について触れられていたものの、その統合計画では一切触れられる事はありませんでした。そして直後の4月にJALから新たな社長、奥田氏がJALから送られてきました。その奥田氏は就任後の翌年、2010年度の事業計画で「退役機整備を行っていく。」と掲げたものの、直後にA300-600の退役整備の受注を逃しました。そして5月に取締役に就任した椛島氏(現社長)を特命営業担当に任命したものの、他社機整備を受注するための準備は全く行わず、2011年1月21日に事業終了を発表しました。



新会社設立? 情報求む

 日東整の元職員が中心となって新会社設立の動きがあるようです。先日、日東整の再就職窓口に「新会社設立の話しがあるようだが、どうなっているのか。」と問い質したところ、「椛島さん(現社長)にきいたら、何か分かるんじゃない。」と言われました。現社長も関与しているのだろうか?


 また日東整の事務所に航空局から元工場長代理あてに頻繁に電話がかかってくるそうです。事業終了したはずの日東整を事務所代わりに使っているのでしょうか。


 日東整の歴史を振り返ると、旧JASやJALの整備部門の一部として成り立ってきたこと、そして親会社が不要だと思えば、送り込まれた役員によって、潰されてしまう存在だったことが分かります。


こんな経営のやり方を許しておく訳にははいきません。

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